続々・ 僕は、クラブのジャズと、普段、僕が聴いたりプレイしているジャズとは、大変な隔たりがあると感じている。
Posted on 2008年10月25日 | コメント (0) | トラックバック (0)
同時に、これと同じことが、生でプレイされているクラブ・ジャズについても等号しているんじゃないかと思うようになった。
例えば、リフや展開、容姿のヒップさに対してインプロヴィゼーションを重要にしていない事情は明らかに同じだと考えている。
楽曲を聴くと、ジャズに必要なもの、ハイトーン/ダークサウンド、テンション・ノート、クールだが太いベース、ポリでグルーヴしたビート、どれも、プレイする側も望んでおり、確かに実現しているのだが、、、、、よく言われることだけれど、"私" が聴こえてこない。いや、個性を放っているようには見えるけど、音にそれがあるように感じない。「鈍いんじゃね」とか「アタマ固いんじゃね」とか言われても、感じないのは僕だけじゃないと思う。
では、"私" とは何か。自分が何をプレイすべきなのか、それを認識した上でプレイするのは、自身がミュージシャンであれば、そんなことは、当たり前のことだと思う。
今回はジャズの話題なので、ジャズに固執するけれど、あのミュージシャン達がジャズとしてアレを演奏し、そこで何かを語ろうとしているのだとすれば、それは STYLE であり、LIFE (生活と人生) ではない。
LIFE を表現する必要があるのか?といえば、ジャズはそれを伝えるために手法を凝らし表現を模索し一生かけてやるものだと、考える。芸術ってそういうものじゃないだろうか。
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*) さらに、ジャズとは何か?、ということになると若干議論は別になるが、僕が尊敬するミュージシャンのコメントを載せておきたい。あまりにも有名なコメントなので、ミュージシャン名は省きたいところなんだけど、Louis Armstrong のコメント。
What is jazz? "Baby if you don't already know, you're never gonna know the answer."
*) 事実、クラブ・ジャズのプレイヤー達も、大変だろうなと思う。職業としてやるのは誰だって何事だって大変だ。アマチュアの僕なんて気楽なものだ。
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A1:B1=A2:B2 ?
極端な表現をしてしまうとクラブ・ジャズはジャズじゃないということになってしまうのだが、そこまで言ってしまうのはやめたいと思う。なぜならジャズはあらゆる音楽を内包してきた歴史がある。
また逆に、ちょうど過去のアシッド・ジャズのように、クラブ・ジャズとは他のジャンルがジャズを内包したものとも言える。その場合を支持するなら、クラブ・ジャズは僕が仲間とプレイしているジャズとは、やはり別になるのだ。
そこで、加えて思うのだが、今の状況は 80 年代中頃に、日本で、有名なインスト・バンドが流行ったことに似ていると思う。その後、メンバーを変えて活動し続けており、ファンも多いけれども、確かに聴いてて気持ちいいかもしれないけれども、新しいサウンドだったとは言いがたい。US では smooth jazz として昇華していったが、日本ではそのまま特に変化無く、ジャズに近づこうとして近づけておらず硬直している。
音楽にかかわらず、こういうったことは、ほぼ 20 年周期で同じことが起こるけれど、クラブ・ジャズと言われているもの、または、その周辺のジャズと言われているものに対して、同様のことが起こっていると僕は思う。先が見えるのにかかわらず。
ブルースから始まり現在のヒップホップにまでつながる長い歴史と、ぷっつりと切れた状態でプレイされ続けてしまうのは、これ以上は危険だ。
(一旦) 終わり
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*) ここまで書いておいてなんだが、今回、自分の音楽活動について完全に棚上げした状態で僕はこれを書いている。振り返るとまだまだ経験していないことが多い。例えば、The Room の JAM SESSION SOFA に参加したことが無いし、そもそもガチでジャム・バンドを体験したことが無い。要はまだまだ実績が無い。
*) とはいえ、www 上で意見を放つことはいいと思うから、書かせていただいた。
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