続・ 僕は、クラブのジャズと、普段、僕が聴いたりプレイしているジャズとは、大変な隔たりがあると感じている。
Posted on 2008年10月24日 | コメント (0) | トラックバック (0)
2002 年から「東京 JAZZ」が始まり、形態を変えて今年も開催されたけれど、ここでは既存のジャズとクラブでのジャズが混同してプレイされていた (ご存知のとおり、すでに「東京 JAZZ」ではこういうことは発生していない)。当時は DJ もミュージシャンとイコールであり、初回のハンコックはすべてのミュージシャンをまとめる立場にいた。ジャズの歴史は絶え間ない変化と融合の歴史なので、これはごく当然なことなのだけれど、しかし勘違いも生むと思う。少なくとも僕は勘違いしたうちの一人で、2005 年頃、気がつくのが遅くてたいへん恐縮なのだが、以下のことを判るまで、時間がかかった。
DJ はミュージシャンではない
書いてて恥ずかしいったらありゃしないが。
DJ は箱で、実に良いレコードをかけて、実に良い空気を創り、人やモノや出来事の新しい出会いを演出してくれている。本当に素晴らしいと思う。だけれども、流れている音楽は、過去のジャズ・ジャイアンツの大きな遺産だ。
ただし、そこに存在している音楽は新しいものではなく、再発見はあっても新発見は無い。パーカーがレスター・ヤングをコピーしまくった時のような、マイルスがモードに出会った時のような、コルトレーンがついにアッチに行っちゃった時のような、パット・メセニーがシンクラヴィアを使い始めた時ような、新しさは無い。
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*)「DJ 、人のもんで金儲けやがって」なんて言うことはここでは論外である。あれだけ珍しいレコードを見つけてくるのも偉いし、それをスムーズに並べる力や、その感覚は大したものだと思う。
*) スクラッチ等のプレイで魅了するタイプの DJ は、DJ は DJ でもミュージシャンに近い。ターンテーブリストというミュージシャンだと、僕は認識している。
*) 二次災害的勘違いを生まないために、自分をフォローすると、DJ を楽器奏者だと思っていたわけではない。
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わかった瞬間、階段で足を踏み外したように僕はがっかりした。
(見事に)つづく
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