ベトナムの近現代史というとベトナム戦争を連想しますが、あれは東西の代理戦争だということで種々書かれていますが、なんで戦争が起きたのかというと、もともとはベトナムの独立戦争です。ベトナムはフランスの植民地でした。
フランスの植民地になったきっかけは、最初に今の形でベトナムを統一した阮朝 (グェンちょう) という王国が1800年代の中頃にフランスに敗れたため、植民地化したという経緯によります。
人民委員会庁舎。フランス統治時代にシティホールとして建てられたもの。前の広場にはホー・チ・ミン像がある。
オペラハウス。
サイゴン大教会
中央郵便局。大教会の隣にあります。
続いてベンタイン市場。ホーチミン市で最も大きい市場です。旅行といえば市場が楽しいですよね。こういった市場が各所にあり、チョロンにあるビンタン市場も有名ですが、市街中心からやや離れているのでこちらの方が行きやすいです。ドンコイ通りから徒歩圏内。外観については以前の日記に載せましたので、その中身の写真。
市場は18時ごろに閉まり、周りに屋台が出るナイトマーケットが面白いのだそうですが、今回は行きませんでした。行きそびれたというか、市場の中もそうなのですが、呼び込み(日本語)が多くて多くてやや辟易していまして。こういった夜市については次回、台湾かバンコクに行った際に行こうかと思います。
ホーチミン市は治安が良い方ですが、用心していればなんとかなるものの、スリ/置き引き/引ったくりが多いという情報が多く、むしろ夜は旅行のテーマであるホテルのバーに気持ちを集中したという感じです。
戦争及びオフィシャルなもの。
戦争証跡博物館
ここも行きそびれたところでして、門の前に着いたときはちょうど昼休みでした。あと45分もアジアの暑い中にいるのはシンドイと思い、隣の統一会堂に移動しました。
ホーチミン観光で外せないところなのですが、戦争を観光にしていいのか当日まで迷ったことと、かなりエグイところだと聴いてビビっていたことがかえって足を遠のかせたと思います。だってアウシュビッツとか旧ユーゴに行った人が一番エグイと言っているのですもの。
事前情報に翻弄されがちなところは×だったと反省していますが、日本人なんだから広島に行ってまず自分をもう一段上げなければならないと思っています。
当時の米軍の戦車とヘリコプター。ベトナム戦争物の映画を思い出しますが、その現物。帰国後、写真を見るたびに僕の耳にはマーヴィン・ゲイの What's Goin' On が響きます。正直これですら身につまされるものがあります。まだムリみたい。
統一会堂
南ベトナム時代の大統領官邸で、現在は政府要人の国際会議等に使用される政府の建物ですが、そういった会議やセレモニーが無い限り一般公開されています。ガイドツアーに参加しないと周れません。時間が合いませんでしたが日本語ガイドもあるとのこと。
中国とソビエトと北朝鮮(とついでにキューバ)を連想させる共産主義の赤さに直に触れられます。
西側の思想を持つ僕としてはなぜここに来たのだろうと自分で自分に疑問を持ちました。やはり訪れた所の意味を考えれば考えるほど、その時の自分の行動が理解できなくなります。要はベトナムをナメていたということなのですが、始終反省しました。海外旅行先で。今でも。
最後に町並み。
ドンコイ通り
ナムキーコイギア通り
平和な目線で言うと、南国風土をフランス流のデザイン・センスで処理した街並みなので、東京の表参道がかすむぐらい街がかっこいいです。
おまけに社会主義国という日本には馴染みのない政治体制が赤く縁取り、ホー・チ・ミン師の思想の強さが今も尊敬を集め、それがその奥にあります。感服するとともに理解しきれなかった自分を悩ませました。
美しいものには毒があるというけど、そういう街だと表現したら言い過ぎでしょうか。
オペラハウスの前。後ろに見えるガラス張りのビルはビンコム・センター。オフィスビルとマンションとショッピングセンターがあって日本で言えば六ヒルといえばそうなんだけど、やや小さい。でもね、社会主義国にこんなのが建ってるのって、じゃあ誰が住んでるの?ということだよね。
ベンタイン市場横。
この交差点は信号があるからみんな止まってるけど、信号のない交差点なんてザラで、ラッシュアワー時はこんなのが前後左右からドバアァッと来るの。でもヘコんでるクルマをほとんど見なかった。
つづく。
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