(2010年GWの日記がゴッソリ抜けているので、覚えておきたいことをメモ)
この村は四方を険しい山に囲われているが、古くから木地師が入り、政変や血縁の事情で権力を失った公卿や没落貴族が身を隠した土地であった。また、東海道沿いの町からアクセスが出来なくもない距離に位置していたため、旅一座が来たりと、全く隔離された土地でもなかった。
(大鹿村の村歌舞伎は、江戸時代にこの村に来た旅一座に、やり方を教わったもの)
気候や地形、地質といった風土は産業の基となり、産業は社会を構成する土台となる。社会ができると文化が興り、その土地を人間の内面も含めて特徴付ける。
山間だが、この村では塩分を含んだ泉があり、塩が取れる。
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