中公文庫で買ったので、同時収録の「ヤー・チャイカ」を読んでから感想文を書こうと思ったのだが、プライベートの時間が他で圧迫してきたため、タイトル小説を読んだ時点で書いておく。
僕が開高健を愛読していたのは以前にも書いたけれど、他の同作家のファンと同じく、他の作家の作品を読めなくなって困っている。例えば村上春樹は読めない作家の筆頭で、書かれていることが素晴らしくても、文体でメゲる。その理由について話をするなら、直に飲みながらの方がいいかもしれない。しかしこの症状はたいへん寂しいと認識していて、同じ時代の小説を読めないのは、時代に取り残されているという感と同時に共感できるものが減っていく感覚に近い。
そこで、開高健がどういう作家を支持していたのか、調べてみた。芥川賞の候補策や評をまとめているサイトがあり、開高健の評のみをジクジクと読んでみたところ、厳しい評が多く、作品や作家にすら触れないコメントがほとんどであったが、それでも好意的な評もある。
特に激賞されているのが山田詠美で、花村萬月についても高く評価しているようだった。全体的に女性の作品を評価する傾向があるのはひとまず、氏が生々しいストーリーや文体を支持するのは書いているもののとおりである。
意外なことに、目だつほどの高評価ではないけれど、認めている作品の中に池澤夏樹の「スティル・ライフ」があった。今回読んだのは、これが理由である。
池澤夏樹の作品について「理系の村上春樹」と説明している人もいて、また、ずいぶん前に同じ職場で働いてた女の子に池澤夏樹のファンがおり、どんな小説を書くのかたずねたところ「"そんなにがんばらなくてもいい" みたいなことを書いている、、、、」というような回答だったため、軟弱な私小説なのかと思い敬遠していたのだが、あえて手に取ってみた。扉の向こうは開けなければわからん。
読んでみた結果、よかった。文体は懸念していたとおりパンチが弱いし、ストーリーもあまり現実味を帯びておらず、やはり生々しさには欠けるが、そこに目をつぶると同時に、まぶたの裏に詩情とメッセージを知覚できる。書かれているメッセージは、発表された 1987 年の、ちょうど世間全体が景気の良さに気づきはじめた時代の空気を帯びているが、はっきりと作家の考えを湛えており、作品として昇華している。
大して僕は本を読んでいる人間ではないが、この作品の特徴は冒頭ではないかと考えている。伝えたいことを要約したような文章がいきなり始まるが、(開高健の評では "余計なもの" と言っているが)、これが無いと普通の読者には作品が立体化しないだろう。少なくとも僕は助かった。さらに連想を加えれば深みがあることもわかる。
「理系の村上春樹」という風評があるのも、たんにストーリーに理系な話題が多いだけではなく、文体がああでも、説明の仕方や意味の持たせ方に、理系のお作法 (必要な説明は行い、不要な説明は省き、要・不要の基準がはっきりしている) が見えるからだろう。
僕は、この作品では「人と世界のあり方」がテーマになっていると思う。実のところ、この点にスコープすれば、今の時代でも十分読めるのではないだろうか。全体主義から離脱して個人主義の考え方が普通になり、今は個人主義による弊害がマスコミで報道されているが、示唆されている「人と世界のあり方」の考えについては普遍性があると感じている。主人公と奇妙な友人は染物工場で働いているが、作品ではアルバイトであっても今だったら派遣社員だろう。また、2 人の登場人物には、とにかく不自然に金があるが、それ以外の部分は基本的に他者とのつながりが希薄な孤独な人々である。ツッコミどころは多数あるだろうが、そこに終始しながら読むより、アイデアを認めれば、新しい身の置き方も見つかるのではないかと思う。
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