やり始めた時は HTML 直書きでやってた。marquee タグなんか使って動かしては喜んでた。
だんだん凝りだしたな。トップページをクリックすると別ウィンドウで縦横のサイズが決まったウィンドウを出して、そこにコンテンツを出したりしたな。そのぐらいからフォントサイズを小さくし始めた。フォントサイズが小さければおしゃれに見えた時代だ。
そのうちテーブル使ってレイアウトするテクを覚えたな。でも編集しやすさにかまけてフレームは捨てなかった。個人サイトだからいいじゃん、金出ねーんだからさ。
当時は仕事がウェブサイト作成ツールのサポートだったんで、デザインとか多少気にしてた。でもフラッシュはつかわなかった。金ねーからソフトウェアを持ってなかったんだ。ひがみではなく、派手なフラッシュには抵抗があったな。扉で動きがスゴくても "どうだスゴいだろう" だけに見えた。クライアントは喜ぶだろうな、とか。まだ ADSL の普及途中なもんで、重くてたまらんじゃないかとも思ったんだ。
そのぐらいからテーブル使うのはやめて、CSS で配置するように変更した。テーブルは正しいヤリ方じゃないと思ったからだ。オレはコンピュータの仕事してて「こうすれば○○できるじゃん」ってアイデア言うわりに手を動かさないヤツが大嫌いなんだ。発明はアイデア 1%, 努力 99% ってエジソンも言ってるだろ。しかも、アイデアが 1% あればいいんだが、どっかから事例を持ってきただけでノーアイデアの場合だってよくあるじゃんかよ。テーブルはレイアウトを整える苦肉の策だとは思うけど、出来ているということにならないと考えている。
今の仕事に変ってからシステム側で動かすのがいいだろなってんで、MT 使ってブログにして運営してたが、DB とコンテンツのバックアップをどう取るのか方針を決める前に、MT やめた。ブログ CGI は更新がラクっちゃぁラクだが、自宅サーバでやるとなると少しばかり作りこみに時間がかかる。オレには金と時間が無いんだ。今のサイトを動かしてるサーバも 5 年落ちの富士通の FMV なんだ。維持と軽さを考慮して必要なコンテンツだけがあればいいと判断したんだ。
そんなわけで、プロフィールと今書いてるような適当な戯れゴト書いたログのみのサイト構成にしてる。ライナス・トーヴァルズ氏のサイトのなんとシンプルなことよ。
自サイトやるのは、自分にとっては、けっこう仕事上の実験台みたいなところがあって、安心して扱えるよさがあった。だがこれを今後も続けるかどうかはわからない。自サイトをやり続ける意味というのは、全く個人的なことだ。私という人間がいて、URL を持っており、小さいながらも情報が発信され続けられているというのは、いわゆるクリエーターでなければ、そのことそのもの以外に意味は無い。パイオニア 10 号の金属板みたいなものだ。誰かが見つけてくれればいいぐらいの。そんなもんだ。
しかし、振り返るといろいろ懐かしさは感じる。webring を使って、同じようにジャズが好きな人とやりとりをしたり。山田屋の nom さん、路地裏番長や、平太食堂、VIVO のアサミさん。今でも小さく付き合いのある人はたくさんいる。あのころは今よりは体力があり、出会ったことが新鮮だった。しかし、そういう頃がもう戻らないのはわかっている。
久しぶりにメセニー聴きながら、関越道で新潟に行って、甘エビを食いたいな。今はもう少し知恵がついたから、せっせと旅日記書いてた時とは違う楽しみ方が出来るだろう。10 年続けたらなんかご褒美つけてもいいもんかな。
[サイトの変遷]
リニューアルは合計 9 回やってる。v1 と v2 については手元に無かった。物置にしまったフロッピー・ディスクに入ってるかもしれないけど。
version 3
この頃はデザインなんかほとんど意識せず、フリー素材で気に入ったものをポコポコ使う程度だった。
インライン・フレームが時代を感じさせる。
version 4
デザインに興味が出てきた頃。絵心が無く自分で書けないから、せめてもと色あいを気にしてる。ウェブ・デザインに興味があっても仕事にしなかったのは、もう 29 才だったからだ。もしウェブ・デザインなんかやってたら、都心で働く人になっていたかもしれないが、今みたいに落ち着いた日々を送れたかどうかが疑問だ。
よく Cool Homepages とか Web Monkey とか見てたな。
フレームを使いまくり、まだテーブル配置していない。
version 5.5
テーブル配置に初めて手を出したもの。v5.5 なのは、何かコンテンツを改変した後だからだと思う。このデザインにしたのは 2003 年ぐらいだろうか。手作り感満載。言い訳させてもらえるなら、僕はデザイナーではないのですべてが見よう見まねなのだ。
自宅サーバで公開するようになったのもこのぐらいからかもしれない。
version 7
v6 ではなくいきなり v7 なのは v5.5 と v6 間でデザインに大きな違いが無いため。v5.5 と v6 の違いはコンテンツの大きな改変をしたからだと覚えている。不要なコンテンツは削除した。それまでは個人的なことをガブガブと書きまくってたのだが、web 上での知り合いも増えて、個人サイトのあり方みたいなのを考えてコンテンツを書くようになった。ディスク・レビューも、いわゆる名盤を取り上げず、新作を積極的に取り上げたり、誰も書かないものを取り上げたりした。意味の有無を考えるようになったんだ。もちろん個人の範疇を超えてないのだが。
なお、このデザインで公開していたコンテンツは今でも裏で公開してある。
./old/
version 8
Movable Type (MT) で公開してた blog だ。v7 と並行して公開してたから blog の冠を付けてる。すでに今の仕事に就いているので、シンプルさを追求し始めてて、文字は白地に黒の方が読みやすいとか、何が書いてあればよいかとか、それぐらいしか考えなくなっている。仕事も忙しくなったし。
これも裏で公開している。もう mysql も perl も動かしてないから、コンテンツが表に出てるだけだ。トラックバックもサイト内検索も動かない。
./blog/
version 9
今のサイト。コンテンツを最小化した。ディスクのレビューはアマゾンがやればいい。美味いメシのレビューも食べログで十分。旅行記も日記でカバーできる。自サイトの役目は、自分が誰であるのか、何をやっているのかを示すことと、まだまだくすぶってる "書きたいコト" を好きなときに書ければいい、それだけだ。それもそのうち twitter とかに集約するかもしれないが、自分の記録を他の業者に預けるのがなんとなくいやなので、自宅サーバで自前でログ化している。過去コンテンツで最も自分に役立ってるのはやっぱり日記で、どの年齢時に何をやってたかがわかるのっていい。
最後に。10 周年なのでこれぐらいは書いておこう。自サイトを作るにあたりお見本にしているサイトがあるんだ。
コシヒカラー : http://www.koshihi.com/
サイトへのリンクはいちいち教えてくれなくていいというので勝手にリンクを張っている。
個人サイトとしての動きをお手本にしている。ああ、この人がこういう動きをするのなら、僕もそうしよう、みたいな。
[おまけ]
・一番最初は、プロヴァイダの無料ホームページスペースだった。容量 5MB 。
・CATV が自宅に導入され、インターネット回線も換えた。提供されているホームページスペースとアドレスがショボいので、cool.ne.jp の広告が出るやつにした。shtml 使って広告消すというのもやったが、なんか正しくない気がして、すぐやめた。
・自宅サーバに目覚めてしばらくは windows 用の apache で公開してた。IIS については笑えない事件があって、とりあえず IIS で立てて (コンテンツは未公開)、翌朝、ウィルスチェックしたら、うんと検出された (速やかに G/W 閉じて OS フォーマットした)。後で詳しいやつに聞いたら TechNet で入手するパッチじゃないとダメだというのを教えられた。2004 年頃の古い話だ。
・その後、Redhat 8 に変更。今は、Fedora. アタックはあるが何も問題は無い。
・取ったドメイン、最初は com だった。その後 org にしちゃったから、開放した当時のドメインはもう業者が抑えちまっている。取ったのは、たぶん、http://aaa.jp みたいな短い jp ドメインが流行り始めるちょっと前じゃないか。
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