jazzresort.org

shin teshima's official website

千歳烏山「RAGTIME」にて (2009/01/23)

home profile oldlogs rss2.0

【ライブのお知らせ】
IWQ & ひげおとめフレンズアコースティックアゲイン
11月13日(土) : TUBO (千歳烏山) : http://www.geocities.jp/tubo_kuma/
OPEN 18:30 / START 19:00 : MC 1,800yen (+1drink order)



私は魚釣りがしたくてしようがない

2010/10/27 21:48

 IWQ のベーシスト、O 氏には (ネットから遠い世界にいる) 釣りを第一の趣味としている友人がおり、その付き合いでよく釣りに行くという。氏のブログを見たり、リハの後の飲み会でその話を実によく聴く。さらに僕も誘われるのだが、自分がなじみのある釣りではないため、しばらく話を聴くだけにしていたのだが、ウズウズが収まらず、少しずつ準備を始めるようになった。
 準備の話は気が向いたら後述することにして、表題のとおり、「私は魚釣りがしたくてしようがない」。開高健の「私の釣魚大全」という釣りの本に出てくるフレーズである。
 今でこそ、開高健というと (あまり認めたくないけど) "釣り" のイメージが先行するけど、「私の釣魚大全」が最も最初の釣り関係の著作である。1969 年のリリースで、前年に「輝ける闇」がリリースされている。
 あとがきにあたる項目を読むと、「輝ける闇」を書いた際、運動不足を感じていたところ、「旅」誌の提案で釣りを始めたらしい。もともと釣りは子供の頃に好きだったそうだが、おそらく天王寺公園や戦争間際の大阪の運河で小魚を釣っていたのだと思うが、再燃したのはこの時のようである。
 開高健の釣りというとルアー釣りが主だが「私の釣魚大全」ではまだまだルアー釣りにこだわっておらず、取材した釣り方も、その土地独特の漁法だったり、例えば瀬戸内海で鯛を釣ったりといった、現在のスポーツ・フィッシングよりは若干かけ離れたものだった。そして、その項目の最後で初めて、鱒族の釣りがやりたいとはっきりと述べている。
 開高健は 1930 年生まれなので、「輝ける闇」を書いたのは 38 才頃と思われる。誤差で 37 才かもしれないが、僕がちょうど 38 才なので、ほぼ同じ年である。開高健は 7 才年上の女性と学生結婚をし子供も直ぐに生まれており (もちろんデキチャッタなのだが)、そういう状態の後にベトナム戦争へ従軍記者として従軍をし、世界中を釣りで歩いた。芥川賞を取った時だって子供がまだ幼児の頃だった。本人が望んだからなのかはわからないが、要はしがないシステム・エンジニアとは比べるまでもなくドラマチックな人生を送った。しかし僕は比べてしまうのである。そうか開高健は僕ぐらいの年齢で小説が少しずつ書けなくなり、釣りをするようになったのか。釣りをしたからなのか、書けなくなったから釣りをしたのか、どちらが先なのかはわからないが、作家の評価を変えてしまうまでに釣りをやるようになった。

 先日の日曜の昼ぐらいから僕は風邪で寝込んだ。熱は無かったがどうにもだるい体調を感じ、昼食に葛根湯を飲み、ベッドで iphone をイジイジしてたらやがて眠りこけた。起きたら少し調子が戻っているようだったのでソファーで本を読んだ。夕食は午前中に買ってきたモツで鍋を作りキンミヤでホッピーを飲んだ。ここまではほぼいつもどおりだが、大事を取るつもりで暖かくして葛根湯を飲んで 21:30 頃にはベッドに入り込んだ。夜中に目が覚め、オシッコに行き、時計を見たら 23:30 ぐらいだったと思う。そのまま目を閉じればまた眠りこけるかと思ったがそうはいかなかった、いろいろなことがアタマを回り出し、自分を取り巻く様々な出来事や関係が次々に現れ、アレやコレやを考えはじめた。それらが "カメラは捕らえた" 系の TV で見るような太い巨大な竜巻のようになり自分に迫り来る。しかし気づかないうちにやはり眠りこける。
 次に気が付いたのは 1:30 だった。またトイレに行き、ベッドに入るとまた竜巻が迫ってきた。今度はかなりしつこく、とうとう竜巻に巻き込まれた。頭を取り囲むように、脳ミソを渦に巻くように瓦礫と共にグルグルと突風やホコリが吹き荒れるような感じだった。翌日は通常出勤の週の初めの月曜だから早く眠りたいという気持ちが強かったが落ち着かない。瞬間風速的に体温も超えていたかもしれない。ここで初めて自分が疲れているのではと思った。
 直前の金曜の夜は本厚木から渋谷の本社に行き、本社勤務の人と飲み、飲み足りないから最近よく行く地元のバーに寄った。銘柄は忘れたが大変旨いウィスキーを飲み、ほんの 2 週間前にココに越してきたばかりの人と話をし 2:30 ぐらいまで飲んでたと思う。帰宅後、PC をつけて、若干の創作をし (Cm の曲を書いている)、覚えていない時刻に寝た。翌日は 8:00 ぐらいに起きて網戸を洗い、午後は近くのホームセンターに行った。大したことはやっていない。日曜の夜に辛い思いをしたのは、金曜の夜に無理をしたところに季節の変わり目の風邪にあたったからだと判断している。
 月曜は結局、体調が良くならず、その日に進めなきゃいけない仕事が本当にたまたま無かったため、早退をした。体調不良で早退するなんて、年に 2 回も無いと思う。
 ひとまわり書いてしまうと、ごく普通のリーサラの週末ストーリーだが、日曜の夜から月曜の朝にかけて攻め立てられた時に感じたのは敗北感だった。時間単位でピンポイントに疲れている自分を意識はしたが、それ以上に、ああオレは疲れるのだなと悟った。生き急いでいると宣言している人ほどのハードな日々はすごしていない。週末に遅くまで飲んで帰るというのは 2 年ぐらい前にもやっていた。けれど同じことをやっても伸びが無く、回復も遅い。何かを我慢して余力を残して備える生活をしなければならない齢になったのではと、痛烈に感じる。
 タバコが値上げしたが禁煙をする気は無く (本数は凄く少ないが、それは元々なので辞める必要性を感じていない)、飲酒を控える気も無い。しかし何かしら自分が変わるべきで、アクションが必要なのだろう。週末はずっと音楽をやっていて、他に手が回らないから控えていたけれど、他に何かヌく必要があるのだと思う。

 釣竿はすでに買ってありケースに入れたままにしてある。フローティング・ベストも届いた。リールはシマノのエルフか、好みでカーディナルを買ってしまおうかと画策している。初心者だからナイロンの 3 号でいいだろう。11/13 のライブが終わったら、(ラグタイムの Y さんにオファーされている 12/5 の芦花公園ライブがあるが) ひと段落つく。
 最後に釣りをしたのは 1999 年の冬に琵琶湖で竿を振った時だと思う (何も釣れなかったけど)。すでにルアーが前に飛ぶかどうかすら自信が無いから、まずは腕を動かすところからはじめよう。



<< prev




oldsite(-2007/09/03) oldblog(2007/09/03-2010)

Copyright © 2007-2072 shinichiro teshima, All Rights Reserved.